大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 平成8年(う)628号 判決 1997年6月25日

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金三〇万円に処する。

右罰金を完納できないときは、金五〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

原審及び当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

本件各控訴の趣意は、検察官小池洋司作成の控訴趣意書及び弁護人山村忠夫作成の控訴趣意書に記載のとおりであり、検察官の控訴趣意に対する答弁は、同弁護人作成の答弁書に記載のとおりであるから、これらを引用する。

検察官の控訴趣意は、事実誤認及び量刑不当の主張であり、弁護人の控訴趣意は、事実誤認の主張である。

第一  検察官及び弁護人の各事実誤認の主張について

検察官の論旨は、要するに、原判決は、本件公訴事実である「被告人は、平成七年七月二日午後四時ころ、京都市上京区西堀川通下長者町下る桝屋町二八番地先路上において、甲(当二四年)に対し、所携の金属バットでその身体を三回殴打する暴行を加え、よって、同人に対し安静加療約二か月間を要する頭蓋骨陥没骨折・脳挫傷等の傷害を負わせたものである。」との事実について、被告人による加害行為の外形的事実を認定しながら、右金属バットを振った被告人の行為は、被害者による急迫不正の侵害を誤信し、防衛の意思に出たものではあるが防衛行為の相当性を欠いたというべきであるとして、誤想過剰防衛の成立を認めたが、これは、被害者や被告人の供述などの評価・取捨選択を誤り、誤想過剰防衛の「誤想」の根拠となる前提事実及びその法律評価を誤って誤想過剰防衛の成立を認めたもので、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認がある。というのである。

また、弁護人の論旨は、被告人の行為は、被害者による一連の継続する急迫不正の侵害に対する正当防衛であり、被告人は無罪であるのに、誤想過剰防衛の成立を認めるに止めた原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認がある、というのである。

そこで、各所論及び答弁にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せて、以下に検討する。

一  先ず、関係証拠によると、次の事実が認められる。

(1) 本件当日の午後四時前頃、甲は妻乙が同乗する乗用車を、被告人は妻丙が同乗する乗用車をそれぞれ運転して、原判示の本件傷害事件発生の現場に至る堀川通の北行車線を北上していた。その途中、被告人車の西側車線を走行していた甲車が右に進路変更して被告人車の前に入ろうとしたが、これを無理な割り込みと考えた被告人は減速せず甲車をいれなかったため、甲は進路変更を妨害されたと考えて立腹し、被告人車の直前の位置につけ被告人車を停止させる機会を窺い、京都市上京区地内の堀川通下長者町交差点(以下本件交差点という。堀川通の北行車線は片側三車線の幹線道路である。)の信号機が赤色信号に変わるや、甲車を被告人車にかぶせるようにして、同交差点南端から南へ約四五メートル位の追越し車線上(三車線の中央分離帯に接する第三車線)に停車させ、被告人車はその後方約二メートル余の地点に停車した。

(2) 甲は直ぐに自車を降りると、「こらー見えへんのか」などと血相を変え大声で怒鳴りながら、被告人車に小走りに近寄った(被害者の怒りようが尋常でなかったことは、妻乙が調査官に明言しているところである。原審検察官請求証拠番号24の同女の員面調書参照)。被告人は当時三一歳、身長約一七三センチメートル、体重約七〇キロで細身であり、大学卒業後信用金庫職員などし、本件当時はJAF京都支部に勤務していた。甲は当時二四歳、身長約一六六センチメートル、体重約八五キロ、肩幅が広く、建材会社に勤務し約五年前から一〇トンダンプカーの運転手をしていた。

(3) ただならぬ形相でくる甲の姿を見て、被告人は何か文句を言いにきたと思い、運転席側ドアの窓を開けると、甲は、「こらー見えへんのか。なんちゅう運転してんねや」など怒号しながら、いきなり運転席の被告人の胸ぐらを掴んで前後に揺さぶり、或いは被告人の顔面や頭部を手拳で殴り付けてきた。被告人は両手で顔を覆うなどして防せいでいたが、更に、甲は被告人車の運転席ドアを開け、「降りてこい、降りてこんかい」「外へ出ろ」などと怒鳴り襟首を掴んで引くなどして被告人を車外に引き出そうとした。被告人は、このまま車外に出されると殴る蹴るなど手荒い暴行を受けると思い、助手席側に身を捩り、座ったまま車体などを掴み、甲の下半身を足で蹴り、押すなどして出されまいと抵抗した。妻丙も助手席から、「止めて」など悲鳴を挙げながら夫を庇った。このような状態がしばらく続いた後、被告人は結局車外に引き出された。

(4) 甲と被告人とは、原判示の本件現場路上でごく短時間向き合い、甲は被告人の胸ぐらを掴んで揺さぶるなどした。

前記一連の暴行により、被告人着用のシャツのボタンが飛び、生地が破れ、被告人の鎖骨の辺りが赤くなるなどした。

(5) 被告人は血相を変え攻撃を止めない甲に対し、狂気を感じ、バットを見せればこれ以上暴力を振るわないだろうと思い、右(4)の際、隙を見て、甲から逃れ運転席の下のトランクレバーを引き、後部トランクから本件金属バット(被告人が当日朝草野球の試合に参加し、その後被告人車トランクに入れていた長さ約八五センチメートル・重さ約七〇〇グラムのもの。以下「バット」ともいう。)を取り出すと、これを持って甲の立つ場所に戻って行った。他方甲も、金属バットを持ち近寄ってきた被告人に気付き、これを抑えようとして両手を肩辺りまで前に上げるようにして構え、若干被告人の方に近寄った。これを見た被告人は甲がバットに怯むどころか、却ってバットを見て一段と怒らせ、更に激しい暴行を加えてくるのでないかと誤信して恐れ、これを防ぐため、とっさに、バットのグリッブ辺りを両手で握り、バットの先を右肩口辺りに上げた位置から、野球の素振りをする要領で、ほぼ水平に、夢中で、甲の身体めがけ連続して三回殴りかかった。その中の、一、二発目は甲の左肩付近に当たったが、三発目は先の打撃で腰を落とすなど体勢が崩れた同人の左側頭部に命中し、その結果甲は頭部に原判示の重傷を負った。

以上の事実、すなわち、原判決が認定した経過事実と概ね同旨の事実を認めることができる。

二  前記一連の経過事実に関する検察官の所論について検討する。

先ず、所論は、甲が車内の被告人に対し、かなり強度の揺さぶりをかけたのは事実であるが、甲が降車してから被告人に殴打されて倒れるまでは、赤色信号から青色信号に変わる信号待ち中の六八秒という短時間の出来事であり、甲は、この短時間内に被告人を威圧し直ぐ自車に戻ろうとする意思であったと認められるから、揺さぶった以外に殴打までしたことはなく、また被告人を車外に引っぱり出したこともない、被告人は自分で運転席ドアを開けて降車したのである。車内の被告人を殴打したり、車外に引き出したりしていないことは、その旨被害者の甲が供述するだけでなく、本件現場西側歩道上から事件を目撃していたJ1も同趣旨を供述するところであり、これら供述に反する被告人の供述に信用性を認めた原判決の認定は誤っている、と主張する。

しかし、所論の根拠とするJ1供述についてみると、同人の目撃位置(本件現場道路の西側建物前から本件事件を目撃した)からは、被害者らが三車線の北行車線の中央分離帯に接する第三車線に停止している被告人車及び甲車の東側にいる関係上、これら車両等に遮られるなどして、見通しが困難なため、被告人車運転席内の状況やその近辺の本件関係者らの言動ないし動作を観察するには、自ずと限界があり、所論に沿う状況を逐一目撃したかのように述べる点は、多分に疑問が残り、直ちに信用することができない。そして、甲がわざわざ車を止め降車して被告人車に近づき、更に、車内の被告人に対し怒鳴り続けながら、その胸ぐらを掴んで前後に揺さぶった言動と事態の推移に照らせば、車内で甲から顔面等を殴打され、車外に引きずり出された旨一貫して述べる被告人の供述を排斥することは困難であり、これに反する甲の供述を採用することはできない。なお、所論のいう経過時間については、事件関係者らは概ね数分以上と供述しており、いずれにしても、六八秒という短時間でないことは明らかであり、本件交差点の信号機周期が六八秒であるという以外には、一連の出来事が右信号機周期内で終了したとする主張を裏付ける証拠は皆無である。右所論は理由がない。

次に所論は、前記一の(4)以降の段階、すなわち、被告人が車外に出た後においては、甲は被告人に対し何らの有形力を行使しておらず、自車に戻ろうとしていたものである。この事実は、本件が信号待ち中の六八秒という短時間内の出来事であることや、甲やJ1、J2の各供述に照らし明らかであり、甲は、後ろから近付く被告人の気配に振り向いたところ、金属バットを持った被告人が丙を押し退けて近付いてきて、いきなり右バットで殴打したものである。被告人がバットを持って甲に近付いた時点で、甲が両手を肩位まで上げて前に出し、被告人に近付いて行き、被告人の手に触った事実はなく、その旨の甲証言は、同人が原審証言で始めて供述するところであるが、右証言時には既に示談も成立し示談金も受領し、且つ本件を正当防衛と評価されても異議ない旨の嘆願書の作成にも応じた後のものであるなどの事情があったため、被告人の意に沿わない証言を避けたものであり、到底信用できない。したがって、原判決の前記認定は誤っていると主張する。

そこで検討するに、本件の一連の出来事が六八秒以内のことであるとする点や、J1証言に疑問があることは前述のとおりであるが、関係証拠によると、前記一の(3)のように、甲は、運転席ドアを開け、執拗に「降りて来い」などと怒鳴り、被告人を車外に引き出そうとしていたのであって、一連の事態の推移に照らしても、被告人を車外に引き出しながら何もしなかったというのは、いかにも不自然である。丙らの供述するように、甲は、車外で被告人を揺さぶるなどしていたと認めるのが、事態の流れに合致し合理的である。甲も、相手が降車すると当然殴り合いの喧嘩になると思い身構えた旨供述しており(甲の員面調書・原審検察官請求証拠番号13参照)、また、甲の原審証言を同人の捜査段階の供述と対比しても、同人は、車内の被告人に対しては殴打まではしていないとか、被告人は自分で車から降りたとの点は、一貫して同一供述を維持していること、捜査段階においても、前記のように被告人が車外に出たとき、「これから当然殴り合いの喧嘩になると思い身構えた」「(バットを持った被告人を見て)……相手の男を止めようと思い近付いた……」などと述べていることなどに照らし、検察官の示談云々の所論は根拠薄弱であり、理由がない。

三  次に、前記一連の経過事実に関する弁護人の所論について検討する。

所論は、被告人は、甲の執拗な暴行に対抗するすべのないことから、バットで威嚇し暴行を止めさせようと考え金属バットを手にしたところ、甲はこれを見ても怯む様子をみせず、バットを奪い被告人を力で組み伏せるべく、両手を肩まで上げ前に出した状態で被告人に近付いてきたため、被告人は止むを得ず甲の左腕から下の辺りを三回連続して殴打したのである、と主張し、被告人もこれに沿う供述をしている。

しかしながら、関係証拠によると、被告人がバットを持って甲の方に戻ってきた際、被告人を制止しようとして、前記姿勢をとって構え、被告人の方に若干近寄ったことは認められるものの、右姿勢につき、甲は被告人を制止しようとしたものであって、攻撃しようとしたものでない旨明確に証言しており、右証言は、被告人が隙を見て甲の手から逃れ自車のトランクに向かった際も、被告人の後をおっていないことや、バットを持った被告人と対峙した際も、右以上に別段の暴行を加える言動は示していないことに照らすと、信用することができ、これに反する被告人の前記供述は措信できない。したがって、弁護人の所論は理由がない。

四  次に、急迫不正の侵害についての、弁護人及び検察官の各所論について検討する。

前記一の(1)ないし(4)の経過に照らすと、その間になされた甲の被告人に対する一連の暴行が、被告人の身体に対する急迫不正の侵害に当たることは明らかというべきである。

弁護人は、前記所論を踏まえ、甲による右侵害は、被告人がバットで殴打する時点まで継続していた旨主張する。

しかし、既に検討した本件の事実経過、すなわち、被告人が隙を見て自車のトランクに向かった以降、甲において格別何の行動をとっていないことに照らし、それまで継続した甲による前記一連の暴行、すなわち、被告人に対する急迫不全の侵害は、被告人がバットで殴打する直前では終了していたものと認めるのが相当であり、所論は理由がない。

他方、検察官は、被告人がバットを持ち甲に近付いた段階では、甲の暴行は既に終了しており、甲が引き続き暴行を加えるような客観的状況も認められないから、被告人をして急迫不正の侵害を誤信させるような前提事実は存在しなかった旨主張する。

しかし、被告人がバットを持ち甲に近付いた段階で、急迫不正の侵害が終了していたことは所論のとおりであるが、甲が両手を挙げて前に出すなどの姿勢をとったことも前示のとおりであり、この姿勢を見て甲から更なる暴行を加えられるのではないかと恐怖に駆られた旨の被告人の供述は、それまでの一連の本件の具体的経過、推移の下で、甲の侵害が終了してから極く短時間の出来事であることを併せ考慮すると、被告人の右事態の認識は、自然で合理的な反応といえるのであって、にわかに右供述を排斥することはできない。そうすると、被告人は、甲の急迫不正の侵害がなおも継続していると誤信し、恐怖に駆られて自ら身体を防衛するため、とっさに甲をバットで殴打したものと認めるのが相当である。右と同旨を認定した原判決に、所論のような事実誤認はなく、所論は理由がない。

そして、右事実関係の下において、被告人が素手の甲に対してバットで殴打した行為は、同人による急迫不正の侵害に対する防衛行為として相当性を逸脱しているものとみるべきである。従って、被告人の本件所為については傷害罪が成立し、誤想過剰防衛が成立するものというべきである。これと同旨の原判決の判断は、正当である。

以上、要するに、正当防衛を主張する弁護人の所論、及び誤想過剰防衛の成立を否定する検察官の所論は、いずれも理由がない。

第二  検察官の控訴趣意中、量刑不当の主張について

論旨は、要するに、誤想過剰防衛の成立を認めた上、検察官の懲役二年の求刑に対し、刑の免除を言渡した点において、原判決は、事実を誤認しているだけでなく、刑の免除を言渡した点においても、量刑が著しく軽きに失して不当である、というのである。

誤想過剰防衛の成立を認めた原判決に、所論の事実誤認がないことは前説示のとおりである。

本件は、被害者の無理な割り込みに端を発し、被害者から、常軌を逸したいわれのない一連の暴行を受けた被告人が、前記の経緯を経て、被害者に対し、金属バットで三回殴打し、安静加療約二か月間の頭蓋骨陥没骨折・脳挫傷等の重傷を負わせた事案である。その経緯はともかく、素手の相手方に、金属バットで連続して三回殴打した行為は甚だ危険であり、生じた結果も重大である。

他方、被告人は、著しく常軌を逸した被害者による一連の侵害行為が存続しているものと誤信し、恐怖に駆られ、この侵害を抑止すべく、防衛の意思を持って、本件所為に出たものであり、それまでの一連の被害者の行為に照らし、右誤認には無理ない事情があり、本件の経緯・原因につき被害者側に重大な落ち度があるというべきであること、被告人は先ず脅しの意図でバットを持ち出したものであり、かつ、頭部を狙い殴打したものではなく、幸い被害者の傷害も後遺症もなく順調に回復したこと、被害者との間で円満に示談が成立し、被害者から被告人の寛大処分を望む嘆願書が提出されていること、被告人にはこれまで前科・前歴が全くなく、真面目な社会人としての生活を送ってきたものであることなど、原判決も指摘する被告人に有利な事情が認められる。

しかし、本件行為の危険性、結果の重大性などに徴すると、被告人の刑責は軽くないと認められ、前記被告人のため有利な事情を十分斟酌しても、本件は刑の免除を言渡すべきまでの事案と認めがたく、原判決の量刑は、軽きに失するものというべきである。論旨は理由がある。

よって、刑訴法三九七条一項、三八一条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により、当裁判所において、更に次のとおり判決する。

原判決がその挙示する証拠により認定した事実に法令を適用すると、原判示被告人の所為は、刑法二〇四条に該当するところ、前記情状により、所定刑中罰金刑を選択し、その金額の範囲内で被告人を罰金三〇万円に処し、右罰金を完納することができないときは、同法一八条により金五〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、原審及び当審における訴訟費用につき、刑訴法一八一条一項本文を適用して被告人に負担させることとする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 田崎文夫 裁判官 久米喜三郎 裁判官 毛利晴光)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例